私のMISSION

やっと残暑の厳しさが和らぎ、秋の気配を感じる季節を迎えました。
みなさんご健勝でしょうか?
私は6月下旬より18日間、4年ぶりにアメリカ西海岸を旅して来ました。
おそらく、もう、アメリカには来ない、行かない。
思い出して約35年80回延べで約800日を、公私で訪れ、たくさんの人と会い、交流を深めてきた人々への挨拶としてSay 「Good Bye!」してきました。
今年のはじめに我家にホームステイをしていた日系4世Justin Yokoi(横井君)の父親がUCLAのゴルフへードコーチをしており、誘われたことも訪問の理由でした。横井君の父親はじめ、全く日本語を喋ることは出来ませんが、家族全員の血統が日本人であり、彼も日本人と結婚して、大学卒業後は、できれば日本で働きたいと熱望しており、我が社にでも来ないか?と誘っておきました。来秋になりますが…。

以前にもこの通信で、再三延べきたと思いますが、働くとは労働「LOBOR=労働」「WORK=働く」「JOB=仕事」「TASK=任務」「BUSINESS=ビジネス人」「POSITIONINNG=社長、会長などの経営者」と、堺屋太一が仕分けしておりますが私の年代になれば「MISSION=使命」「CONTRIBUSION=社会貢献」「VOLUNTER=無償行為」があり、私は今、その年令域に入っていると思います。

私が生まれたのは兵庫区船大工町(現在の神戸中央市場前)で8歳の時、昭和20年3月17日に自宅が米軍焼夷弾で焼かれるまで育ちました。
その後転々として、親戚を訪ねて逃げまわりましたが、親が鈴蘭台に家を買ったことで、石田一族が落ち着きました。そして小部小学校に3年生で入学し、山田中学、兵庫高校を経て、同志社大学法学部を昭和36年に卒業して、東電通(現在が合併してミライトHDで東証1部)に入り12年間務め、昭和48年36歳で離職して経営者として日本初カット野菜会社を創業させ、昭和50年にエム・ヴイ・エム商事(株)を創立させました。
生まれて本年まで77年間、ずっと神戸に在住してきました。

その神戸が最近どんどん輝きを失っています。原因はさまざまありますが、根本は助役(現在は副市長)から市長を選ぶという体質が64年間続き、その官僚制度が弊害になっていると考えます。官僚制度の弊害は「誰も責任を取らない」フルーツ・フラワーパークの倒産(40億円)、舞子ビラの100億円こえる赤字、神戸市地下鉄の累積赤字1,200億円にもかかわらず、従事する職員の年俸の平均788万円(他の私鉄635万円)を支払い毎年市税から17億円を赤字補填する有り様。
阪神淡路大震災義援金もまともに決算出来ておりません。
今や国家の負債総額1,000兆円を超えてと地方交付金もあてに出来ない状態です。アメリカの自動車の町デトロイトは1.8兆円負債で破綻してしまいました。人口も180万人が70万人減ってしまいました。我が神戸市の人口は154万で負債総額2.3兆円あります。
ではどうすればよいのか?この悪い連鎖を断つべく、今までの私の最後のMISSION (使命)を行使する決意をしました。

私は、この秋(10月27日投票日)に神戸市を変える最後のチャンスにどうしても神戸市を変えるべく「かしのたかひと」を全力で応援することにしました。
我々が子供時代に神戸住んでいることを誇りにしていました。今は下手をするとデトロイトの二の舞いにならないとも限らない!「かしのたかひと」君応援して、再び輝く神戸を取り戻しましょう。今、「かしのたかひと」君を応援するため大いにCRAZYになっています。

喜寿を向かえましたがCRAZYが私の元気の根源になっているのです。(苦笑)
かつて、ケネデイが言った「政府に何をしてもらうかでなく自分(神戸市民)に何ができるか」が問われています。
先日、「かしのたかひと」応援隊である、佐賀県武雄市の樋渡市長が、図書館を民営化したら年間95万人(人口の20倍)が九州のみならず全国から来る活況。
また、横須賀市の吉田市長は自民党若手のホープ小泉進次郎(選対委員長)で推す候補を2度打ち負かした姿勢のよい市長も、応援に駆けつけてくれた。
先日15日神戸新聞松方ホールで、神戸市長立候補4名での討論会があり1947年から続く助役から市長への64年続いている今の市政のあり方を問われ、皆さん一様に良くないと答弁したが、久元喜造さんは総務省から神戸第一副市長天下りして「だから矢田市長から誘われた」とは自己矛盾ではないか失笑で会場が包まれた。その久元氏を自民党民主党公明党が相乗る有り様。やはり我が国政治は利権構造で雁字搦めになっていると実感した。

長々と、私の思いを書きましたが「あるがままに生きる」「毎日がSPECIAL」「人生は有限」の座右の銘はかえていません。
皆さんごきげんよろしく。