最近思うこと。

クローン、DNAの解明やヒトゲノムとか化学の解明が生命の神秘性にまで踏み込み本来の自然なもの、生態系を破壊、組替えを人工的になすことはその技術ゆえにその技術を使う人間性のモラルの高さに依存せざるを得まい。
人間性(野生、本姓)を自由に解放することは過去の過ち例えば、ナチのヒットラー犯罪、ソビエトの時代のスターリン、近くでは国内のオオムの犯罪、三島由紀夫の言い方をすればSEXの解放はレイプのやりほうだいとなり、「快楽殺人」に到ってしまう。人間が殺人を認めてしまうとこれでは人間社会そのものが成り立たなくなる。その人間の野生、を押さえ抑制することが集団の規律で「政治」ではないか。
その政治がわが国で混迷を極めている。戦後の55年体制が崩壊し多党化、群雄乱立したが旧来の官僚支配体制が変えることができない「公共事業型」政治が崩壊できないで、新しい日本は生みのの苦しみにもがいている。あと数ヶ月で21世紀を迎えるこの期になっても日本の未来像が霞んでみえないでいる。
20世紀型価値と21世紀型価値は異なるであろうが、政治の混迷がそれに拍車をかけて新しい価値体系を作り出せないでいる。私見だが、21世紀「個の価値」が問われる世紀ではないか、20世紀の日本は没個性、集団の力で成長してきたが、これとまるきり反対の価値が、中心に座るには、人が変わる、環境が変わる。見方が変わる、革命的変革が伴う。これは言うは易しいが、実行は難行である。
世界的にみれば20世紀は石油が主体の化石エネルギーが中心となって、自然破壊の文明の世紀でなかったか。石油は人間の生活を根本的に変え、その根源を握る、地域支配者、メジャーに巨大な富を与え、二大戦争を含む戦争である面で、この地球に住む人間は基より、動植物にも多大な影響を与えただけでなく生殺与奪権を与えてしまった。だが、21世紀に入り人類は石油エネルギーのもたらすマイナスの大きさに気づきはじめている。地球温暖化、、化学原料の無限使用、水資源の汚染、核利用の処理の不確定性,更に石油エネルギーの有限、枯渇化の心配が出てきた、したがって人類は否応なくライフスタイルの変更を余儀なくされる。
21世紀に入ったが、まだまだ20世紀の残鐸で苦しむことになっている。IT時代の到来とかいわれ、使い様によって便利性は格段によくなってきたが、人間の幸福への導きとはなっているだろうか?日本経済でいえはこの50年の経済繁栄はなにだったのか「失われた10年」といわれこの後遺症から抜け出ないでいる。
外務省の機密費私用横領事件、K・S・Dの自民党党費立替問題、に見られる政治の腐敗は怒りをとうりこしてやりきれなさ、むなしさ、人間の本性のいやらしさに到達してしまう。これは日本型の民主主義の限界か。