戦争と平和〜日下公人氏の著書から一部編集〜

ガストン・ブートゥール*1というフランスの社会学者は「戦争の結果、人が死ぬ」ではなく、「若者が沢山生まれ、人口が増えすぎると戦争が起きて人口を調整する」と言う理論を展開している。
勿論どの国の指導者も政治家も自国の国民が多いからといって 戦争を始めるわけではない。しかし、現象としてみるならば、たしかに戦争を起こす国は決まって国内に「余剰人員」を抱えている。 特に若くて血の気の多い青年が多い国は戦争を起こしやすい。 またブートゥールは「若者がたくさん戦死すれば、戦争は当初の開戦目的に関係なく自然に終わりを迎える」とも言っている。しかし、単に人口を減らすことが目的なら、何も戦争で殺さなくとも他の方法があるではないかとの疑問が生じる。*2しかし、「自然の摂理」としてこの様なことがある事をネズミの実験例で示している。
多数のネズミを限られたスペースの中で飼い、だんだん餌を減らしていく。 飢饉が進んでいくと、ネズミはお互いに餌を争って殺しあって生き延びようとする。そのとき最初に死ぬのが若いオスのネズミで、その次が年寄りネズミ、そして次は妊娠しているメスや子供をたくさん産むメスが死に追いやられる。会社では採用減らしがリストラの最初に来る。それだけ個体数が減っても、まだ食料不足が続くとどうなるか。最後に残るのはごく少数の強壮な中年のオスと、若い純潔のメスだけになる。といってもオスがハーレムを作るわけではない。食料不足が解決されたとき再び集団の数を増やしていくため 若いメスには手を出さずに生かしておくのである。ブートゥールは、このネズミの例の他、野生のサルの社会でも同じようにまず子ザルから殺されていくと書いている。

人口が多すぎる場合、元気で食糧をたくさん消費する若者が 最初に減っていくのが生戦争を防ぎ、平和を維持する最大の方策は出生率をなるべく下げるか、或いは右肩上がりの経済成長をすることで 若者に就職という捌け口を与えるか である。つまりこれ以外に世界平和を実現する道はない。社会が「人余り」にならなければ戦争の原因は生まれないし、また仮に戦争を敢えて起こそうとしても戦場に向かう若者が不足していれば、どんな指導者でも開戦を躊躇する。そう考えれば現代日本はまさしく世界のお手本である。何しろ、一人の女性が生涯通じて産む子供の数は平均で1.3人を切っている。 高齢化社会にとって若者は貴重品なのだから、その貴重品をたくさん戦場に送り出して消耗するなど絶対にありえない。
ところが、今の日本は少子化社会の到来を悲しんだり憂えたりする人ばかりで 「これでいよいよ日本は名実共に世界平和のリーダーになれる」と 喜ぶ人がいないのは不思議である。おそらく人口統計からくる年金制度などの社会保障制度の実質的な破綻や、その社会保障制度の存在を阻む、特別会計などの政府官僚機構の税金の馬鹿食いからくる潜在的な不安があるのだろうと思う。これらを思い切って整理してしまわないと、かつての社会主義国と同じ運命をたどる羽目にもなりかねないだろう。また、左翼や中国や韓国などに「日本に軍国主義回帰の動きあり」と言われたら、堂々と出生率を示して「これでどうやって戦争が出来るのか」と反論すればよい。そして返す刀で「あなたの国もわが国を見習って。ぜひとも出生率を下げて世界平和に協力しなさい」といえばこれに勝る反論はない。
中国は一人っ子政策を採っているが、実際のところそれがうまく行っているのは上海や北京といった大都市だけで、地方、特に辺境地方では守られていなかったり、除外されたりしているらしい。中国の農村部で人が余っていることは、行ってみれば分かる。右を見ても左を見ても若い人だらけである。 次々と上海などの大都市に人が流入したり、あるいは海外に密航してでも出稼ぎに行く人間が後を立たないことからもそれは現れている。つまり中国は戦争や内乱の危険がなくならないということである。
日本は中国に対してこれまでODAを始めとする多額の経済援助をしているが、その資金の多くは中国の軍備増強に回されてきた。そこで資金援助を打ち切るとしたが、もし中国が今後も日本からの経済援助を求めるのであれば 一人っ子政策推進のための援助に限定すればよい。 それは中国のためにもなるし(内乱の危険が減る、人権を楯にその逆をすれば内乱を誘発し政権打倒にも使える)、それらはもちろん日本の長期安全保障のためにもなるのである。 これは何も中国に限った話ではなく、少子化世界の推進を日本は世界公約にすればよい。 現在世界の人口は60億もあり、現在の技術力では50年後における100億の人口を支えきれない食糧事情の解決が必要となる。
更に、世界の人々が日本と同じような豊かな生活したいと思うなら地球3〜4個は必要な地下資源と予測不可能な環境温暖化問題の対策も必要である。
アメリカは「民主主義が世界に定着すれば世界平和になる」と言っているが、日本は「世界中を少子化社会にするほうが具体的でよい と主張しなければいけない。実現化の可能性は大である。そうなれば戦争はなくなるし、環境問題もなくなる と主張するのである。そして「日本はそのような世界を作るなら援助を惜しまない」とする。こうすれば日本は一躍世界のリーダーになれる。
日本からの援助がほしくてたまらない国は世界中にある。今までのように「ご自由にお使いください」とばら撒いているだけだから 誰も尊敬してくれないが、「少子化社会に実現に役立つ援助しかしない」と いう立場を鮮明にし、しかも、その援助が一向に実を結んでいない国には 援助をストップすればどの国も日本を軽視できなくなる。また国連や諸外国に対しても、今のような食糧援助や人道支援の方法は考え直すべきと強く主張する。たしかに目の前に飢えている人がいれば、食料を援助してあげたいと考えるのは自然な情だが、それをやれば結局は人口爆発を助長し戦争の犠牲者を生み出すだけだ。どうしても人道支援をしたいというのであれば、産児制限も同時に徹底させない限りはやるべきではない。安易な食糧援助は戦争を助長しているようなものである。そのことはすでにアフリカでも証明されている。この潜在的人口爆発の強迫観念から人口調整のための 計画戦争をやりたがる輩がいるのも国際社会の現実なのだ。どんな崇高な理念も、自分自身が実践していることでなければ、それを声高に主張しても誰も聞いてくれないが、その点少子化社会の実現なら日本は実行中である。
少子化は世界平和のための近道である」と日本が説くことは世界のためになるし、もちろん日本のためになる。
面白いことにプーチンになってからのロシアでは急速に出産数が減少しており出生率が1.1人になったという説がある。ソ連時代に共産主義での人口調整をやりすぎたのと、現在若者向け娯楽が増えたので少年・少女結婚がなくなったに違いない。 今、ロシアは日本ブームである。日本式大衆文化社会、または若者文化社会は少子化になることがよくわかる。逆に少子化だからこその日本ブームかもしれないが。
日本のオタク文化は世界を救うかもしれない。世界はそれを求めている。

*1:Gaston Bouthoul:『平和の構造』・『幼児殺しの世界 -過密をいかに救うか』など著書多数

*2:例:「姥捨て山」